2月26日(日)、カンムリウミスズメの生息調査を実施したので報告します。
前回以上の「大漁」を期待したのですが、残念ながらカンムリを1羽も見つけることができませんでした。
概況を記します。
天気:晴れ(調査開始当初は雲が多く、徐々に晴れ間が広がる)
調査時間:9:43から15:16まで
調査結果:カンムリウミスズメ 0
アビ類 40(かなり波があったので、見落としがあるかもしれません)
久しぶりに参加したHさんは、前回調査でカンムリがたくさん出ているので、とても期待しているようだった。私も2月は出現率の高い月なので大いに期待できると予想し、記録漏れや記憶違いがないようにと小型のバインダーにメモ用紙を挟んで臨んだ。準備万端が裏目に出るかもしれないと思いはしたが、このところの記憶の衰えに対応することの方を優先することにしたのだ。お陰でアビ類の記録は波のせいで見落としはあったかもしれないが、確認できたものは漏らさずメモしたので正確な数字である。
調査前、陸から見た海の様子は穏やかそうだったが、実際、海へ出てみるとかなり波がある。船長さんのコース取りのせいか、沖合へ出るまでずっと後ろからの波で飛沫を浴びるようなことはなかった。雲が多めで海上は暗い。風も冷たくかなり冷える。四国や九州方面も見えるので、靄ってはいない。
いつもはやらない記録メモという新規のタスクは自分のペースを乱す。沖合へ進んでいる間に出た鳥はというと、アビ類が何ヵ所かで見られたほか、カモメ類の飛翔個体のみ。いずれも遠く、波と船の上下動もあってすぐに見失う状態。10羽前後のアビ類の群も見られたが、近づくこともできないまま潜られ、それっきり。また、その群の1羽と思われる個体が、たまたま船の直ぐそばに浮かび上がり、慌てて飛び去るということもあった。

ホウジロ島の近くまで来るとミサゴが2羽、警戒声を発しながら飛び回る。撮影した画像には赤い小さな魚を足で掴んだ姿が写っていたので、食事中だったのかもしれない。

近くの岩礁や島の岩棚にはウ類が休んでおり、船が近づくと三々五々飛び立つ。画像で確認するとウミウとヒメウが20〜30羽いたようだ。岩の上で羽を乾かしている個体も見られた。




セグロカモメも岩の上で休んでいたが、こちらは船が近づいても反応なし。撮影した画像にウミアイサも写り込んでいた。研究者のTさんはハヤブサもいたと言っていたが、私は飛び去る後ろ姿を遠目に見ただけで、よく分からなかった。
その後、鼻繰島方面へ進んでいる時に船の直ぐ近くでアビ類が1羽見つかり、何とか撮影することができた。逆光だったため良い写真は撮れなかったが、シロエリオオハムと分かる写真が撮れていた。この種の冬羽ではチンラインと言って喉に黒い線が見られるのが特徴で同定の決め手となる。

鼻繰島を周回したが、近くの岩場にはウ類がたくさん休んでおり、ホウジロ島同様、ウミウとヒメウのようだった。
南岸沖に船を止め、昼食休憩。

Hさんは釣りをされるので、船長さんと話が弾む。Hさんは瀬戸内海で魚が減っていると言われるが、本当のところどうなのか、科学的裏付けをしようと現在思案中とのこと。漁師さんそのものが減っていることや漁法の変化もあって漁獲量からだけでは比較ができず、何か良い方法はないかと悩んでいるそうだ。私の近辺でも、釣りをしている人から、近頃全くつれなくなったという話はよく聞くのだが、そういった定性的な感覚だけではダメで、定量的な比較によるエビデンスが必要ということなのだろう。
この日のお茶うけは防府市にある紫雲荘の「菅公の梅ひらけ」というお菓子を配った。防府天満宮にちなんだお菓子とのこと。実は、「史跡銘菓 國廰」という菓子を買おうと店に行ったのだが、売り切れで仕方なく買ったものだ。防府市の名前の由来は「周防国府」があった地ということからきており、その「国庁」がお菓子の名の由来である。防府は、かまぼこの「白銀」や「岡虎の竹輪」の方が有名で、あとは防府天満屋の「酒垂岩おこし」くらいしか思いつかないが、この「史跡銘菓 國廰」はお勧めの一品である。
午後からの調査は、午前中行けなかった方面を攻めることに。やはり沖合は波があり、鳥探しは困難を極めた。結局、午前中同様、海上ではアビ類やカモメ類が見られたのみで、カンムリとの出会いはなかった。そろそろではと期待したウミスズメもヒットしなかった。それでも集中を切らさず、寄港まで鳥探しを続けたが、報われることはなかった。
白浜港ではトビとセグロカモメの出迎え(?)を受け、この日の調査を終える。


(この調査は、地球環境基金、パタゴニア日本支社 環境助成金 を受けて行いました。 敬称略:五十音順)
※生息地保全のために詳細な調査区域を非公表としています。