7月7日(水曜日)
ボーリング調査監視行動
今日からいよいよ知事が海面占用許可を認可した正式の準備作業の 始まりだ。
10:00から中電の船3隻と祝島の船9隻が対峙し、 説得船が祝島船団の間を廻り歩く。
今日は対岸の鼻繰島と祝島の間の水平線に国東半島が見える。
12: 30頃が干潮なので前回の続きで西側潮間帯にカサシャミセン調査 に出かける。
途中の潮だまりでヒザラガイの集合住宅に出会う。
昨日より西側のタイドプールで1個体、 別のタイドプールで1個の石に4個体付着しているのを確認出来た!
しかし昨年5個体が付着しているのが見つかったタイドプールは岩 が減ってしまい、確認出来なかった。 移動が苦手な彼らは一体何処に行ってしまったのだろう?
手持ち弁当を食べて浜に座っていると田ノ浦の入り江が残っている のが奇跡のような気がする。
2011/2月、田ノ浦は10数隻の大型台船に囲まれ、 ガリバーに取り付く小人のように祝島の漁船が行く手を阻んでいた 。
陸側から海に向けて1本、また1本と打ち込んで行く。
何とか彼らの弱味である足元をかいくぐり杭の廻りに集まる。
波打ち際の最後の1本を打とうととび職のお兄さんがハンマーを振 り上げた。
最後の1本を打たせてはならない!
私は思わず杭の上に手をかざし叫んだ。
「あんたもプロのとびならプロの漁師さんの気持ちがわかるやろ‼️ 」
堪えていた悔しさに思わず涙がこぼれ落ちた。
するとどうだろう。
「俺だって嫌なんだよう‼️」
とびの兄ちゃんがポロポロ大粒の涙をこぼしながら手を下ろしたの である。
聞けば現場に着くまで仕事の内容は知らされず5日間の契約だが仕 事が終わり次第帰って良いと雇われたそうだ。
そんな彼らに座り込んでいる祝島のおばちゃんたちは語りかけてい た。
「私はこの海で3人の娘を大学まで行かせたんよ。
娘たちが『 お母さん、私たちを育ててくれた海を守ってね』と言うんよ」
彼らはおばちゃんたちに自分の母親の面影を見たのではないか?
中電の社員はそうしたやり取りを石垣のうえから冷徹に見下ろして いる。
札束ひとつで人の心をあやつり争わせる- そんな企業体質に心から憤りを覚えた。
そして1か月後、フクシマが起きたのだ。
思い出から覚めると陽は廻り、もう14:30だ。
今日はカサシャミセンにかまけてあまり良い写真がないのでせめて オニユリの鮮やかな姿をお土産にしょう。